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こじらせたお一人様だが人生振り出しに戻ってはいない

こじらせは分散ができます

こじらせ女は問題を抱えています。

 

その問題の経緯は言葉で表現しきれません。

もともと人の心の中は理性と本能が交差して矛盾だらけ。

世の中で表現できるのは言葉で説明が出来るものに限られてしまう。

自分の中で浮かんだ考えの原理は「こう思うのは昔こんなことがあったから」なんて完結できていることはそもそも少ない。

なぜこじらせたのか自分でも理解不能なことが多いのではないでしょうか。

 

「表現したい→理解されたい→相手がある→相手が理解できるよう自分で言葉をまとめられるか」

 

常識に当てはまらないかもしれないことを伝えるのは、見通しが効かない体力の消費でもあり虚無でもあります。

矛盾したことを裏付けもなく落とし所もなく、先もなく、原因もわからず、それでも伝えていくことは先端研究に似ていますね。

先端研究には価値の可能性が秘められていますが、論破したいほどの価値があるかもそもそも不明なのが自分の頭の中です。

 

 

 

わたしが抱えるこじらせは

全て不安から来ていることは理解していますが

上手く表現ができません。

 

 

「安心して暮らしたい。」

 

 

純粋にただ、それだけなのですが

言葉で表現するとどうやっても失敗するんです。

 

石橋を叩いて渡ることは、良い意味でも表現されますが、ことごとく石橋に亀裂を走らせるのがこじらせ女です。

 

理解して欲しいのに、あまりにも多くこじらせしてまった。

 

 

このこじらせの問題がなくなることはないかもしれない

人生にわたり、長く付き合って

失敗するごとに根を広げて深く巻きついているので

もはや、こじらせはわたしの一部です。

わたしを不幸にしますが、なぜか愛おしくもあります。

 

 

ところで

こじらせは分散できること、ご存知でしょうか?

 

それは、自分が過ごす生活動線上に小さな安心をちりばめることなんです。

 

ベッドサイドに置くちょうどいいテーブルは、わたしのこだわりの家具のひとつ。

そのサイドテーブルがあると、ベッドで読書をしていても眠くなればすぐに置いておくことができ、朝のコーヒーも置くこともできます。

使い勝手がよく、安心します。

 

高価なものではありません。

実は何度か思い切り投げてドアに穴をあけました。

でもサイドテーブルはとても頑丈で、修羅場をくぐった後なのに何事もなかったように今も活躍してくれています。

 

 

こじらせ女の問題の解決には至らない

とてもささやかな安心ですが

こだわるものを所有することは楽しくワクワクします。

そして自信にもなるんです。

自分の中にこだわりを見つけたら、大切にしてみてください。