share6joyのブログ

こじらせたお一人様だが人生振り出しに戻ってはいない

こじらせ女は飼う猫もこじらせ猫

将来の約束をした相手に去られました

昨日ことと思っていたら

一昨日のことでした

 

 

一緒にいる時間は長くても

別れは一瞬です

 

 

こじらせ女は

またこじらせたか、、、

もはや、誰かのことのようです

 

 

 

結婚には至りませんでしたが

それと同じようなパートナーでした

いつか猫を飼いたい!

わたしは子供たちと彼と過ごす家を買って

保護猫を迎え入れました。

 

 

パートナー、自分の家、飼いたいと願った猫

 

たくさん夢が叶いました。

 

 

その猫は繁殖猫として飼われていましたが

2歳になり不要とかで保護された猫でした

 

 

ペットは子猫から飼うほうがかわいい

無防備な甘えたさん

 

 

受け入れたその保護猫は

人が大好きなのに人が怖くて怯えたり

どこかおどおどして、不器用で

素直に甘えてもこれない

来たと思ったら引き際もわからず困らせる

病気も持ってるから目ヤニを飛ばして

白い洗い立てのシーツを汚します

 

正直とても面倒です

 

 

 

すれた可愛くない育った猫は

ペットショップに売られている子猫よりも

良い飼い主に恵まれる機会は少ないでしょう

 

 

でもわたしは保護猫を受け入れた。

保護猫だから受け入れました。

 

 

 

買った中古の家は

資産価値とローンを考慮しても

そこらの賃貸で住むよりもずっとコスパがいいので、

この家で猫の寿命が尽きるまで添い遂げることが可能です

 

子供は大きく手が離れている

もっというと、猫の面倒も見れます

 

月の給与が50万以上ありわたしには猫を養う力があります

さらに副業も始めたので、猫にかかる費用は副業で充分賄えます

 

 

猫を受け入れる環境も万全

歳とって人として丸くなってるし

手のかかる猫でも受け止める自信があった

こじらせ女はわざわざ保護猫を受け入れました。

 

 

こじらせ女が自分を幸せにしたいように

なんとも自分勝手に自分と重ねたこの不器用なこじらせ猫を幸せにしたいと思っています。

ただ面倒を見るだけではなく、相棒のような感覚で。

 

 

夜眠れませんでしたが、

たくさん思いの丈をブログに書いてスッキリしました^ ^

 

 

 

 

 

 

 

 

デュルケムの自殺論をこじらせ女が考える

将来の約束をした相手に去られました

 

昨日のことです

 

 

ないと分かっていても

相手からの連絡を待っている自分がいます

 

彼もわたしの連絡を待っているかも

 

 

 

 

そんな、漫画みたいなことは期待してはいけません。

もし去った彼が別れを少し後悔する場面があるなら自分の描くシナリオとは全くそぐわないはずです。最後にセックスしておいたらよかったとか自分本位な欲求が関の山でしょうか。

 

 

女と男では考え方が違います。

 

 

そしてこじらせ女が考えれる範囲には

主観と勘違いが人より多めに存在しています。

だって、こじらせているんだから。

 

 

 

LINEを開いた時に彼からのメッセージがないことも寂しく感じるのは仕方のないことです

数時間前には仲も良くLINEにも愛情と生活習慣がありましたから、調子が狂ってしまっているんです

 

 

別れはなんとも寂しいものですね

でも一瞬で別れることができるんです

人間関係の希薄さは自由な社会と紙一重です

 

 

学生の頃、社会学でイギリスの資本主義を学びましたが

過去に身分や宗教がどれだけ生活の縛りを作って重きを占めていたのかを考えると、少し気が楽になります。

 

 

ご存知でしょうか?

デュルケムが自殺論を研究した時

男性が結婚という結びつきで自殺率が少なくなることに対して、既婚女性は自殺率が高くなる統計が出たと書いています。

 

 

男性は世間との結びつきで世にとどまる傾向にあるのに、女性はひとりで過ごす方が活き活きしていたのではないでしょうか?

 

 

 

思い返せば

彼と過ごしていた頃、

彼を煩わしく感じていました。

 

パートナーがいると1日の時間を自分のためだけに使えません。

休みになるとそれが顕著にでます。

 

子供が2人いますが、もはや子供たちとの生活はわたしと一体なので母親として使う時間は自分の時間です。

そもそも時間を分けて考える概念がありません。

 

パートナーとの時間はそこまでに至らない、我慢が必要になることもあります。

 

 

わたしは独り身が長かったので、その縛りが面倒でした。

 

彼が自慢のDIYを完成させた時

説明したくて楽しみでわたしを呼び出します

わたしはわたしでしたいことをしてるのですが、

中断して聞きにいかなければいけません。

些細なことですが、それすらも面倒でした。

 

 

 

もしこの人とうまくいかなくなって

独り身になったら

自分のためだけに存分に時間を使おうと考えていました。

 

 

 

さて、

わたしは自由になりました。

 

 

コロナの後遺症でご飯が食べれないこと以外は至って健康です。

 

時間の使い道が変わっていくはずです。

 

 

こじらせ女は大切であると思うほどに安心を確立するために石橋を叩きまくります。

結婚前提にお付き合いしていた人に

去られました。

 

昨日のことです。

 

こじらせ女を長くしていますが

少なからず軌道修正しながら人と接する41歳です。

 

なので、間違いなく今のわたしは

「こじらせ女・改善最新バージョン」なのである。

 

昔より今はだいぶマシになっている

去年より今の方がだいぶマシになっている

 

なのに!

わたしは今もこじらせ女です。

 

 

仕事では、PJのプランニング時に

「もし上手くいかなかった場合に備えて」

ある程度フォローできる見積もりを立てておきますが、

 

 

愛なんて見えない繋がりの関係には、膨大な不安がつきまといます。

別れという危機に直面した時に、どうやって管理すればいいのでしょうか。

こじらせ女は危機感知のアンテナが人よりも遥かに高いので、別れない確信を度々求めます。

 

 

問題がない平凡な日常にも

不安のスパイスを効かせるので

相手に全く理解されません。

言うならば、別れるタイミングを自分から多く発生させています。

 

 

だってね。

仕事では、PJのプランニング時に

「もし上手くいかなかった場合に備えて」

ある程度フォローできる見積もりを立てておきますが、

 

 

って、書いてますが

それを踏まえて仕事する人はとても少ない。

むしろ、目の前のことに集中しておいて何かあったときに考えるやり方が"無駄がなくポピュラーな考え方"のようです。

 

こじらせ女には全く理解ができません。

人を理解できないのに理解して欲しい

主観に囚われたマイノリティ

大切であると思うほどに安心を確立するために石橋を叩きまくります。

 

子供や婚姻で繋がっている夫婦なら

大人としての責任というバイアスが

いい具合に繋ぎ止める作用をするかもしれませんね。

こじらせは分散ができます

こじらせ女は問題を抱えています。

 

その問題の経緯は言葉で表現しきれません。

もともと人の心の中は理性と本能が交差して矛盾だらけ。

世の中で表現できるのは言葉で説明が出来るものに限られてしまう。

自分の中で浮かんだ考えの原理は「こう思うのは昔こんなことがあったから」なんて完結できていることはそもそも少ない。

なぜこじらせたのか自分でも理解不能なことが多いのではないでしょうか。

 

「表現したい→理解されたい→相手がある→相手が理解できるよう自分で言葉をまとめられるか」

 

常識に当てはまらないかもしれないことを伝えるのは、見通しが効かない体力の消費でもあり虚無でもあります。

矛盾したことを裏付けもなく落とし所もなく、先もなく、原因もわからず、それでも伝えていくことは先端研究に似ていますね。

先端研究には価値の可能性が秘められていますが、論破したいほどの価値があるかもそもそも不明なのが自分の頭の中です。

 

 

 

わたしが抱えるこじらせは

全て不安から来ていることは理解していますが

上手く表現ができません。

 

 

「安心して暮らしたい。」

 

 

純粋にただ、それだけなのですが

言葉で表現するとどうやっても失敗するんです。

 

石橋を叩いて渡ることは、良い意味でも表現されますが、ことごとく石橋に亀裂を走らせるのがこじらせ女です。

 

理解して欲しいのに、あまりにも多くこじらせしてまった。

 

 

このこじらせの問題がなくなることはないかもしれない

人生にわたり、長く付き合って

失敗するごとに根を広げて深く巻きついているので

もはや、こじらせはわたしの一部です。

わたしを不幸にしますが、なぜか愛おしくもあります。

 

 

ところで

こじらせは分散できること、ご存知でしょうか?

 

それは、自分が過ごす生活動線上に小さな安心をちりばめることなんです。

 

ベッドサイドに置くちょうどいいテーブルは、わたしのこだわりの家具のひとつ。

そのサイドテーブルがあると、ベッドで読書をしていても眠くなればすぐに置いておくことができ、朝のコーヒーも置くこともできます。

使い勝手がよく、安心します。

 

高価なものではありません。

実は何度か思い切り投げてドアに穴をあけました。

でもサイドテーブルはとても頑丈で、修羅場をくぐった後なのに何事もなかったように今も活躍してくれています。

 

 

こじらせ女の問題の解決には至らない

とてもささやかな安心ですが

こだわるものを所有することは楽しくワクワクします。

そして自信にもなるんです。

自分の中にこだわりを見つけたら、大切にしてみてください。

自己肯定を大切にしなければいけない

仕事で大失敗したときは動揺して

身体の血が激しく巡回

変な汗をかく

脇汗も流れる

 

動揺モードが立て直し可能なら

被害が最小限になるよう先手を打てるだろう

動揺モードが加速して更に失敗するなら、それはお休みが必要ということです

 

 

じゃあ

 

 

恋愛を失敗したときは?

 

わかりません。

どうしたら心の動揺がなくなるか?

全く思いつきません。

 

 

なので、

上に書いたお仕事動揺モードの2つのなかでは後者が近い

 

そしてこじらせ女の人生体験談として

ここらへんは不変不動であることはわかる。

 

1) 失恋してもまず死にません

2) 失恋辛くてもご飯はおいしい

3) 失恋しても仕事は変わらずにある

4) 気づけば立ち直っていた

 

客観的にこの4つを要約すると

失恋してもご飯食べて仕事してれば

時間が経てば知らずに立ち直っているってこと

 

 

失恋動揺モードのオプションは

かなり多様にありますが

過去と未来で分類してみました

 

 

あ) 過去を振り変える

  行動を反省してみる

  失った後悔してみる

  自分を責めてみる

  楽しい頃を振り返って泣いてみる

  人生馬鹿馬鹿しいと投げやりになってみる

  相手にしがみついてみる

い) 未来に向かって歩いてみる

  次の男を探す

  別の依存先を探す

 

 

こじらせ女であるわたしは「過去を振り返る」の中にある

「相手にしがみついてみる」が得意です。

 

自分一人でこじらせにこじらせまくった挙句、

別れという孤独に対面してビビり、

過去のキラキラにしがみつきます。

 

 

 

『愛しいシト、、ゴラム!ゴラム!』

 

 

 

希望を見せるつもりは全くありませんが

自分だけでなく、

相手も感情的になってこじらせた場合

冷静になったときに復縁する可能性があります。

 

 

でも、きっと上手くいきません。

 

 

「もう2度とこじらせませんから、

 よりを戻してください」

 

 

こじらせ女なのに

それ、守れますか?

 

 

こじらせ女はこじらせることが無くならない限り、また同じことが起こるもの。

 

あと、こじらせ女は理由がなくこじらせてません。

 

自分なりの解釈が根本的にあって、

見過ごすことができない

結果的にそれを表現してこじれた、

それを何度も繰り返して

立派なこじらせ女として育ちます。

 

 

 

復縁したとして

その時は安心が得られるかもしれない。

でも、失敗すればまた捨てられるかもしれないよ。

自分の正体を見せることが怖くなって自信なくなりませんか。

自分の考えを伏せて我慢しなければ

一緒にいれない相手なのにあなたは幸せですか?

 

 

もしそれで復縁さえもできなければ

今のあなたはこの辛さから更に何倍ものダメージを食らって

失恋動揺モードなんてどころでなく瀕死。

 

大切に育ててきた微かな自己肯定が崩れ

人生振り出しに戻る覚悟がある人は

一か八かで、別れた男にすがってみてください。

 

 

こじらせ女はもう41歳なので知ってます。

こじらせてしまう原因、その中身は人それぞれきっと違いますが

自己肯定感は至る所で重要な役割を担っていることを。

 

恋愛だけではありません。

仕事、趣味、子育て、買い物、そのチョイス

自己肯定は自分を幸せにする心臓のような軸になるツールなのです。

 

 

こじらせ女は若い頃、

そんなことは全く気づきませんでした。

自分に自信がないことにも気づきませんでした。

何故か自分がいなくても楽しく生きていけそうな恋愛相手を知らずに選んでしまっていました。

 

ずいぶん、ほんとに長い年月経ってから気づいたんです。

自分が人と対等に付き合えるとは思えず、良い人と付き合ってしまいその人を傷つけてしまうことに気後れすること。

だから、無責任な人を選んでしまっていたことを。

 

今ならわかります。

自分のことをどうでもいいと思う相手が、自分を大切にしてくれるわけがありません。

更に自分の自信がなくなる結果になることを早く気づけばよかった。

 

 

何よりもまず、自分のことを大切にしましょう。

幸せになる扉のようなものです。

 

 

余談ですが、、

自分がこじらせ女なのに、こじらせ男と付き合ったことがあります。

その当時は全く気づきませんでしたが、その人と一緒にいてたいがために別れを切り出されるたび泣きつきしがみつき執着という沼にハマりました。

 

互いにこじらせまくった挙句にくっついたり離れたりを散々繰り返し、すがりついた回数ほど自分らしく過ごさず疲弊して、ついに別れた日には人生が清々しく空も青く感じたほどです。

 

思い通りにするための不自然な強行手段の先には希望はありませんでした。

 

今回、大切な人に去られましたが執着はすまいと決めました。

別れを受け入れ、自分の心の中を静かに読み解いていきたいと思います。

さて、孤独を噛み締める

パートナーが居なくなった時間を持て余して

久しぶりにNetflixのドラマを見あさっている

 

途中まで見て放置していた"crown"という

エリザベス女王の生涯をテーマにしたドラマは

シーズン3になり

登場人物も皆、歳をとっていた

 

社会人の長男と洗濯ものを畳みながら、

そのことについて話題になった

 

「どうしたらあんな歳をとるまで

 人は一緒にいれるんだろう」

 

わたしの人生最大の疑問である。

 

「だって見てよ!

 出て行った"彼"のシャツ

 洗濯物としてまだあるよ?

 別れってすごく一瞬だと思わん?」

 

乾いた洗濯物の中に

出て行った彼の洗濯物がある。

だってそうだな。

家族4人で暮らしてたからな。

これが、1日前なら当たり前の光景だった

今日見ると、滑稽で仕方ない。

 

人との繋がりは希薄なの。

長男は聞いてるのか聞いてないのか

洗濯物を畳むのを手伝ってくれている

 

あ、そうだ

体の不調でリビングに行ったんだった。

。。熱を測ると37.5度だった。

 

そういえば、わたし昨日に

ホテルでのコロナ療養を終えたところだった。

 

療養の対象になる熱は37.5度までで

解熱剤を飲まなくてもそれを越えなくなったから帰宅が許されたんだった

 

職場からも出勤禁止令が出ていたけど

それも解除されて、明日から勤務開始なのだ。

 

 

今夜自分の中で感じている得体の知れない辛さは

体の調子が悪い

心が寂しくて不調

悪い相乗効果が出ているのかもしれないな

 

 

5年勤める職場でも

長く休めば再開することに不安を感じる

皆と上手く馴染めないかも

サボっていたと思われているかも

明日は孤立しているかもしれない

(在宅だけど)

 

 

"孤独"はこんなにも身近にあったんだ

"彼"という心の拠り所が無くなると顕在化するものなのだ

 

え?心の拠り所?彼が?

違う違う。

 

失恋した方がもしこのブログを見たならば

感情を勘違いしないことをお勧めする

 

彼は生活の一部だっただけ

わたしの心のあるべきところではない。

だって変でしょう。

別々存在する意識が同じところにあるなんて

 

『心の拠り所』なんて言うと

わたしは執着と同じカテゴリに入れてしまうだろう

分けとくのがベターです

 

 

 

 

とりあえず、明日はきっと大丈夫。

だってわたし、仕事はちゃんとできるもの。

こじらせたお一人様だが人生振り出しに戻ってはいない

41歳になって将来の約束をした相手に捨てられ
今日うちを出て行ったけど
 
これから迎える孤独に怖いとは感じてはいる
生活習慣が変わるのは誰も好きじゃないよね
人生設計もお一人様に掛け替えなきゃ
荷物をまとめる姿を横目に、引き止めるべきかも迷った
でもしなかった
 
こじらせ女が真剣に婚活して失敗した。
相手が愛想つかせて出てったんだけど
 
これからお一人様で何をしようか。
何かが始まる気がする。
自分の中で希望の芽が出てきていることにびっくりした。
 
わたしは自由!
人生が振り出しに戻ったわけではないのだ。